「限界を超えろ」はパワハラ

励ましているようですがぱそれはパワハラだと思う

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以前職場でスタッフに「限界を超えろ」とすぐ言う上司の話を思い出し、仕事でも何かの活動でも頑張っている人にエールを送る意味で叱咤激励とゴリ押しの無責任発言って相手はきっとわかって使っていないんだろうな思い出したので今日は「限界を超えろ」と言うことについてお話します。(というか今回は半分愚痴)

 

限界の質

私の職場の人間で人に何かを諭すとき「自分で限界を決めるな!」といつもいう方がいます。

「申し訳ありません、現状の私の能力だとここまでは・・・」

「今の業務量で期日までの完成がこんなんなので〇〇を・・・」

なんて相談をしてきたスタッフに対して

 

「自分で限界を決めるな、限界を超えてみろ!」

 

とその方は伝えて作業に戻らせることがとてもおおく、限界を超えろというセリフを耳にします。

恐らく「限界を超えてが頑張ってみろ!」というのはその方なりの叱咤激励なんだと思いますが、気がかりなのはなぜそのスタッフが限界と伝えようとしてきたのか?はあまり加味されていないきがします。

 

例えば

「今日飲み会があって絶対行きたいから今日中に終わらない」

というのと

「効率よくやってもあと数時間かかる仕事が複数あるので、行程的に今日中に収めるこのができない算段」

という2つは両方とも業務の限界という表現を用いても意味が全く異なります。

どちらにせよ終わらないと判断して限界という表現を用いるわけですが、後者の限界は明らかに業務量が過多になっているのがわかりますがそれでも「自分で限界をきめるな」というのは少し乱暴な気がしていました。(実話です)

 

叱咤激励と無理強いを履き違えてませんか?

先ほどの遊びたいからなどの場合は論外ですが、本当に物事一生懸命に取り組んだにも関わらず達成が困難になってしまっている状況を理解せず「限界を超えろ」というのは部下を全く見れていないがほとんどな気がします。

 

人は知らない事には無責任になれます。

「もっと安くできるだろ」とか「もっとうまいことできるだろ」とか相手方の事情を全く把握していないからこそ出せる無責任な発言で(「うまいことやれ」なんて抽象的すぎて困りますよね笑)業務ににおいても相手の事情がわからないからこそ叩けばなんとかなるだろうと思っているんでしょうね。

 

その見極めができず安易に限界を超えろと精神論を突きつけるのは叱咤激励ではなく単純な無理強いです。

もっと行ってしまえばパワハラですよね・・・。

 

限界ってそんなに簡単に超えられる?

そもそも

げんかい【限界】

 
( 名 ) スル
 物事の及ぶ一番端。その状態をもちこたえることのできるぎりぎりのところ。かぎり。 「体力の-」 「我慢もこれが-だ」
 二つのものの間を境界で区切ること。 「臣従と君主との両間に於て権利を-するの要あることなし/民約論 
※コトバンクより引用

 とあるように、「その状態を持ちこたえる事のできるギリギリの所」とあるわけであってもうそれ以上無理よ!って状態の先に行けって非常に頑張っている人に対しては酷な事を言っているわけです。

ですからもうぎりぎりに端っこになんとかしがみついているような状態の先に行けって言うのはそもそも無理な話だよ!って思うわけです。

 

言い方変えればより難しく聞こえる

限界を超えろ!というとなんとなくやらせられるんじゃないか?と思われるのであれば、いっその事言い方を変えて考えて見た場合、無理の先にいけと言う事ですから。

 

「行き止まりを進め!!」

 

っていうのと同じレベルですよね笑

「いいか、行き止まりを進んでからが本当の勝負だ」

「お前はまだ行き止まりを超えていないんだ」

 

えぇぇぇ・・・

もうそれ無理ゲーじゃないですかってなると思います。

言い方変えればどれだけ無理強いしてるかわかってくれるんじゃないかなっと思ってみたりしています。

 

皆さん無理はしないように!

って事で愚痴ぽい話題になってしまいましたが、「限界を超えろ」的な事を言ってきた場合、当然仕事であればある程度の成果、結果を出すために頑張らなければなりませんが、何か大きな犠牲を払ってまでつき進もうとした場合「行き止まりを進め!」といわれていると思い出してみてください。

それはちょっと・・・っとなった場合少し足を止めてみてもいいと思いますというお話でした。

 

手を抜くのはよくないですがほどほどに頑張りましょう!